東京地方裁判所 昭和33年(ワ)8201号 判決 1960年4月11日
原告 株式会社正広社
被告 野島寿平
主文
原告の請求をいずれも棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
原告訴訟代理人は、「被告は原告に対し、金六十一万三千円および内金十八万三千円に対する昭和三十三年十月十七日から、内金四十三万円に対する昭和三十四年一月二十五日から各完済に至るまで年六分の割合による金員を支払うべし。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決および仮執行の宣言を求め、その請求の原因および被告の主張に対する答弁として、次のとおり述べた。
(一) 被告は、振出人を株式会社泰賀堂取締役社長野島寿平とし、受取人を原告とする左記(イ)、(ロ)、(ハ)、(ニ)、(ホ)の各約束手形を振出し、受取人を原告とする左記(ヘ)の為替手形につき、その引受人を右の振出人と同じにして引受けた。
(イ) 振出日 昭和三十三年八月八日
金額 七万円
満期 昭和三十三年九月八日
支払地振出地ともに 東京都豊島区
支払場所 株式会社東京都民銀行池袋支店
(ロ) 振出日 昭和三十三年六月五日
金額 十一万三千円
満期 昭和三十三年十月三日
その他の要件(イ)と同じ
(ハ) 振出日 昭和三十三年七月五日
金額 四万五千円
満期 昭和三十三年十一月六日
その他の要件(イ)と同じ
(ニ) 振出日 昭和三十三年七月五日
金額 六万円
満期 昭和三十三年十一月六日
支払場所 東京都豊島区高田本町二丁目千五百一番地 株式会社泰賀堂
その他の要件(イ)と同じ
(ホ) 振出日 昭和三十三年八月五日
金額 二十一万七千五百円
満期 昭和三十三年十二月六日
その他の要件(イ)と同じ
(ヘ) 振出日 昭和三十三年九月六日
金額 十一万七千五百円
満期 昭和三十四年一月六日
振出人受取人ともに原告
支払人 株式会社泰賀堂
その他の要件(イ)と同じ
原告は右の各約束手形、為替手形を、それぞれその法定の呈示期間内に支払場所に呈示して支払を求めたが、いずれも支払を拒絶され、現にこれらを所持している。
(二) 右の(イ)、(ロ)、(ハ)、(ニ)、(ホ)の各約束手形の振出人および右(ヘ)の為替手形の引受人とされている株式会社泰賀堂の右肩には(約束手形については住所として)東京都豊島区高田本町二丁目千五百一番地と附記してあるが、右場所を本店所在地とする株式会社泰賀堂という会社は、所轄登記所に登記されていないから法律上存在しないものである。したがつて、被告は、存在しない会社の代表者名義で本件(イ)、(ロ)、(ハ)、(ニ)、(ホ)の各約束手形を振出し、また本件(ヘ)の為替手形につき引受をしたものとして、右各手形金の支払について、約束手形の振出人および為替手形の引受人と同一の義務を負うものといわなければならない。
(三) 盛岡市加賀野久保田百一番地を本店所在地とする株式会社泰賀堂なる会社が登記されていることは認めるが、同所には右会社の事務所その他営業用財産は何もなく、右会社は過去六、七年間同所において営業活動を全く行つておらず、したがつて単なる登記簿上の存在に過ぎず、実質的には存在しないものである。
(四) 仮りに、盛岡市を本店所在地として登記された右会社が実在する会社であるとしても、前記のとおり本件約束手形の振出人および本件為替手形の引受人として表示された株式会社泰賀堂の右肩には(約束手形については住所として)東京都豊島区高田本町二丁目千五百一番地と附記してある。このような肩書地は、その本店所在地を表示したものとみるべきであるから、盛岡市で登記された右会社の本店所在地とは異る場所を本店所在地として表示してある本件手形上の会社は盛岡の会社を表示したものということができない。
(五) 仮りに、盛岡の会社が東京都豊島区高田本町二丁目千五百一番地に事実上本店を移転していたとしても、右本店の移転につき登記がされていないから、本件各約束手形の振出、為替手形の引受を受けた当時右の移転の事実を知らなかつた原告に対しては、右の移転をもつて対抗することができないものである。したがつて、本件手形上の会社が盛岡市で登記された右会社を表示したものであるということも、原告に対しては主張することができないのである。
(六) また、盛岡市で登記された右会社が本件手形上の会社と同一であると主張することは、信義誠実の原則に反するから許されない。すなわち、もし右のような主張が許されるとするならば手形上に表示された会社の存否を知るためには全国の登記所を調査しなければならないという、事実上不可能なことを手形取得者に強いることになる。のみならず、表示された本店所在地と異る市町村を本店所在地として登記されている同一商号の会社が存在していても、同一市町村内でないならば同一商号、同一目的の会社の登記が法律上可能である関係上、両者が同一か否かを判断する基準はないことになる。したがつて、表示された会社の存否を判断することもできないことになる。また両者が同一であるにもかかわらず、同一性を否認することによつて容易に責任を免れることができることになることを考えると、全国の登記所を調べるということは、単に不可能であるばかりでなく、徒労に過ぎないことになるのである。したがつて、前記のような主張は許されるべきではない。
(七) 以上のとおり、いずれにしても被告は本件手形上の会社が盛岡市で登記された右会社を表示したものであると主張することができないのであるから、結局存在しない会社の代表者名義で本件各約束手形を振出し、また本件為替手形の引受をしたものとして、右手形金の支払について、約束手形の振出人および為替手形の引受人と同一の義務を負うものといわなければならない。
(八) よつて、原告は被告に対し、本件各手形金の合計六十一万三千円、および内金十八万三千円に対する前記(イ)、(ロ)の各約束手形の満期の後である昭和三十三年十月十七日から、内金四十三万円に対する前記(ハ)ないし(ヘ)の各約束手形、為替手形の満期の後である昭和三十四年一月二十五日から各完済に至るまで手形法所定の年六分の割合による利息の支払を求める。
以上のとおり述べ、証拠として、甲第一号証の一、二、同第二ないし第五号証、同第六号証の一ないし四、同第七号証を提出し証人鴨松男の証言を援用し「乙第一号証、同第十号証の二がいずれも真正にできたことは認める。乙第十号証の一の原本が存在しており、それが真正にできたことは認める。その余の乙号各証が真正にできたかどうかは知らない。」と述べた。
被告訴訟代理人は、主文と同旨の判決を求め、次のとおり答弁した。
(一) 被告が、原告主張のとおりに各要件を記載した約束手形五通を、原告主張のとおりの記載をして振出し、原告主張のとおりに各要件を記載した為替手形につき原告主張のとおりの記載をして引受をしたこと、原告が右各約束手形、為替手形をその主張のとおり支払のため呈示し、その支払を拒絶され、現にこれらを所持していること、右の各約束手形の振出人、為替手形の引受人として記載されている株式会社泰賀堂の肩書地として(約束手形については住所として)、東京都豊島区高田本町二丁目千五百一番地と書いてあること、右の肩書地所轄の登記所には株式会社泰賀堂の登記がされていないことは、いずれも認めるが、右の株式会社泰賀堂が実在しないということは否認する。
(二) 株式会社泰賀堂は、盛岡市加賀野久保田百一番地を本店所在地として登記されている実在する会社であり、右の登記簿上の本店所在地においては数年来営業を行つていないが、その営業所を東京都豊島区高田本町二丁目千五百一番地において、そこで営業を行つているのである。
(三) 被告は右会社の代表取締役として、本件約束手形を振出し、本件為替手形の引受をしたものであるから、個人としては、手形上の債務を負わない。
以上のとおり述べ、証拠として、乙第一ないし第九号証、同第十号証の一(写で)、二、同第十一号証を提出し、被告本人尋問の結果を援用し、「甲第七号証が真正にできたかどうかは知らない。その余の甲号証が真正にできたことは認める。」と述べた。
理由
被告が株式会社泰賀堂取締役社長名義で原告主張の約束手形五通を振出し、原告主張の為替手形一通に引受をしたこと、原告が右手形六通の受取人であつて、現にこれを所持していること、右各約束手形の受取人、為替手形の引受人になつている株式会社泰賀堂の右肩に(約束手形については住所として)東京都豊島区高田本町二丁目千五百一番地と附記してあることは、いずれも当事者間に争いがない。
問題は、被告が代表取締役をしている株式会社泰賀堂という会社が実際存在するか、それはどの会社か、にある。
もつとも、この点について、本件各手形における株式会社泰賀堂の肩書地「東京都豊島区高田本町二丁目千五百一番地」の意味が問題になつている。
手形の振出人、引受人の右肩に地名を書く場合には(ことに住所と表示して書く場合には)、通常住所または本店所在地(会社の場合)を表示する趣旨で書いているとみるのが相当である。右以外の振出地や営業所を表示する趣旨で附記することも時にあるにしても。
本件各手形についても特段の状況は認められないから、前記振出人引受人は会社の本店所在地を表示する趣旨で前記肩書地を附記したとみるのが相当である。
しかし、右肩書地の意味については、これは振出人引受人が誰であるかをきめるための一資料であるに過ぎない、と当裁判所は考える。
例をあげて説明する。
浦和市に住所をもつ甲が東京都で約束手形を振出すにあたり、振出人欄に「住所、東京都千代田区霞ケ関一丁目一番地」と附記して甲と署名したとする。手形を取得する者は、右手形は右肩書地に住所をもつ甲が振出したと考えるであろう。しかし、この場合、右肩書地に住所をもつ甲なる者は存在しないから右手形振出人の責任を負う実在者はないとすることは、まちがつた考え方である。その手形は、実際、実在の甲が振出しているからである。その甲が浦和市に住所をもつ甲であることは手形外の資料によつてきめるほかない。この場合、前記「東京都千代田区霞ケ関一丁目一番地」なる肩書地は甲を特定するのに何の役にも立たないわけである。
以上の理は、手形の振出人、引受人が会社である場合においても、根本的には、同じである(自然人は、戸籍簿に載ると否とにかかわらず、出生と同時に法律上の人格を取得するに引きかえ、会社は登記されてはじめて法律上の人格を取得する。この点において両者の間にはちがいがある。しかし、いつたん人格を取得した会社と自然人との間に、前記の点についてちがいがあるとは考えられない)。
さて、本件で、被告が代表取締役をやつている株式会社泰賀堂なる会社が存在するか、それはどの会社であるか、を考えなければならない。
前記肩書地の所轄登記所に右肩書地を本店所在地とする株式会社泰賀堂なる会社の登記がされていないことは、当事者間に争いがない。
しかし、本店所在地を盛岡市加賀野久保田百一番地とする株式会社泰賀堂なる会社について登記がされていることもまた、当事者間に争いがない。登記がある以上右の会社は少くともかって存在していたと認めるのが相当である。
ところで、甲第三号証(真正にできたことに争いがない)と被告本人尋問の結果とを合せ考えると、盛岡市に本店をもつ右会社は、本件手形の振出、引受前に本店を東京都豊島区高田本町二丁目千五百一番地(前記肩書地)に移したこと、被告は右会社の代表取締役であり、本件各約束手形の振出、為替手形の引受は、被告が右会社の代表取締役として行つたものであることが認められ、この認定をくつがえすに足りる証拠はない。
してみると、本件各手形は盛岡市に登記があり、現に前記肩書地に本店がある株式会社泰賀堂が振出し、引受けたと認めるのが相当である。
この点について原告のいうところを検討する。
まず、原告は、東京都豊島区高田本町二丁目千五百一番地を本店所在地として登記した株式会社泰賀堂なる会社は存在しないから、右各手形は実在会社が振出しまたは引受けたものということはできない、というもののようである。しかし、右手形は、実際、株式会社泰賀堂によつて振出し、引受けられたこと、その株式会社泰賀堂なる会社は盛岡市に本店をもつものとして登記され、現在前記肩書地に事実上本店をもつ株式会社であることは、前記のとおりである。右肩書地を本店所在地として登記された株式会社泰賀堂なる会社がないということは右の認定の妨げになるものでない。
つぎに、原告は、盛岡市加賀野久保田百一番地を本店所在地とする株式会社泰賀堂なる会社は、登記簿の上でのこつているだけでその実体は何もない、いわば虚無のものである、と主張するが、そうでないことはさきに認定したとおりである。
また、原告は、前記肩書地は右会社の登記された本店所在地ではないから、本件手形における振出人、引受人の表示は、前記会社を表示するものでない、という。しかし、被告を代表取締役とする株式会社泰賀堂という会社がほかになければ(あるという証拠はない)、右手形上の会社は盛岡市に本店をもつものとして登記してある株式会社泰賀堂を指すものとするほかない。のみならず、右肩書地は右会社の事実上の本店(移転の登記未了の)所在地であること前記のとおりであるから、本件手形における振出人または引受人の表示は、十分完全といえるかどうかは別として、盛岡市に本店をもつものとして登記され、現在前記肩書地に事実上の本店(移転の登記未了という意味で)をもつ株式会社泰賀堂を表示しているものということができる。
さらに、原告は、盛岡市で登記された株式会社泰賀堂の本店の移転については登記がないから、そのことを知うなかつた原告に対しては、右本店移転の事実を対抗することができず、したがつて右手形上の株式会社泰賀堂が盛岡市に本店をもつものとして登記されている株式会社泰賀堂を表示するものであることも原告に対しては主張することができない、という。
株式会社泰賀堂が本店移転の登記をしなかつた以上、善意の原告(善意であつたとすれば)に対しては右本店移転の事実を対抗することができなかつたことは、いうまでもない。したがつて、原告としては、右会社の本店が盛岡市にあるものとして行動することができたわけである。
しかし、本件では、本店移転の事実の対抗ということは問題にならない。本件で問題になるのは、株式会社泰賀堂取締役社長野島寿平ということでやつた手形の振出、引受行為は誰がやつたことになるのかということである。盛岡市に本店をもつものとして登記されている株式会社泰賀堂が前記肩書地に移した本店について本店移転の登記をしていなくても、善意の第三者に対抗することができないようなかたちで本店を移転したという事実そのものは否定することができない。当裁判所はその会社が本件手形の振出人または引受人であるとするのである(当裁判所は、善意の原告との関係でも本店移転の事実を対抗することができるなどといつているのではない)。株式会社の代表取締役が事実上の本店の所在地を表示して手形の振出または引受をしたにもかかわらず、本店移転の登記がしてないために、その手形について振出人または引受人としての責任を負うものがないことになる、というような結果を導き出す考え方は、本店移転の事実の対抗の問題を不当に拡張するものであるといわなければならない。
さいごに、原告は、本件手形に振出人または引受人になつている会社が盛岡市に本店をもつ株式会社泰賀堂と同一であるとすることは信義誠実の原則に反して許されない、という。
本件のような事情のもとで原告が株式会社泰賀堂を相手取つて訴を起こそうとすれば、被告の人格をつかむために相当難渋するであろうことは、推察するのに難くない。「会社の存否を知るためには全国の登記所を調査しなければならぬことになるではないか」というのも、たしかに一理ある警告である。しかし、これは信用の薄い会社と取引する者が、つねにぶつかる問題である。周到な者は会社の存否についてあらかじめ相手にたしかめて取引関係に立つであろう。そうすればどこで登記されている会社であるかわかるのが普通である。そもそも原告は、本件手形を取得するにあたり、東京都豊島区高田本町二丁目千五百一番地に本店をもつ株式会社泰賀堂が本件手形の振出人または引受人であると信じたにちがいない(手形の記載がその趣旨であるから)。すなわち、本件手形の振出人または引受人の責任を株式会社泰賀堂に負わせれば、それはまさに原告が予期したとおりのことが実現したことになるのである。被告は事実を主張しているのである。それが何故信義誠実の原則に違反したことになるのか、当裁判所はこれを理解することができない。
かようなわけで、本件手形は盛岡市に本店をもつものとして登記され、前記肩書地に事実上の本店をもつ株式会社泰賀堂が振出しまたは引受けたとしなければならないから、原告の請求はその余の点を判断するまでもなく失当である。
よつて、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八十九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 新村義広 西沢潔 寺井忠)